by 篠原設計室 一級建築士事務所
篠原設計室は、墨田区・京島の細い路地に面する設計事務所です
このまちで暮らし、デザイン活動をする日々の中
感じたこと、考えたことをつづっています
篠原設計室は、墨田区・京島の細い路地に面する設計事務所です
このまちで暮らし、デザイン活動をする日々の中
感じたこと、考えたことをつづっています
京島の路地を歩いていると、本当に色々な音が聞こえてきます。
台所の音、ナイター中継、夕食の団欒、風呂桶の音、姉妹が歌っているGReeeeNの「キセキ」、AMから流れている中島みゆきの「わかれうた」、電話での会話、反抗期の子供と大人のケンカ…
路地を進むにつれて移り変わる、各家庭の音の中に様々な生活が想像され、ニヤけてしまうことも多いです。
建築を使うのはやっぱり人間なわけで、多様な生活や暮らしを見せてくれるこのまちは、やはり刺激的です。
ケンカといえばこんなこともありました。
夜の10時頃、前の路地を3年生くらいの男の子がかけて行き、「父ちゃんが暴れてる!!」
おそらく近くの親戚の家に駆け込んだのでしょう、おじさんらしき人がその子のうちに向かっていきました。
恐る恐る戻ろうとする男の子に「大丈夫か」と声をかけると、こっちに精一杯の笑顔を向けてくれました。
数軒となりの長屋の中からは怒鳴り声がしばらく続き、私と男の子は無言で路地に立ち尽くしていました。
今に映画『血と骨』のように一人が玄関を破って飛び出し、続いて一升瓶を持った男が出てくるのかと想像していました。
間もなくおさまりましたが、そんな生活もここにはあります。
ここに住んで5年になりますが、そこまでの大事はそれっきりです。
夫婦喧嘩や、親子喧嘩、兄弟ゲンカは、よく、聞こえてきます。
仕事の資料を探しに近くのあずま図書館まで。
すると『蔵書資料の特別整理等のため』25日~29日まで休館とのこと。
「ムムム…」と考えていてもしょうがないので、地蔵坂通りの寺島図書館へ。
2冊ほどあずま図書館から取り寄せてもらおうと思いましたが、特別整理が終わるまであずま図書館の図書は動かせないとのこと。
「ムムム…、そりゃそうか…」
考えてみると、高校まで年に1回利用する程度だった図書館ですが、その後は無くてはならない存在になっています。
仕事やレポートのための図書以外でも、雑誌や新聞など、たまにブラウジングすると面白い発見があったりします。
WBCの時はおじさま方とスポーツ新聞の取り合いをしました(笑)
今後引越しをするとしたら、その地域選びの中で、図書館の利便性は重要なファクターになってくるでしょう。
皆さんも近くの図書館に足を運んでみてはいかがでしょうか。
明るいご夫妻が、アットホームな雰囲気をつくりだし、それは店の外まで伝わってくるので、予約の電話を入れるまでにそう時間はかかりませんでした。
同年代ということもあり、とてもリラックスでき、リフレッシュさせていただいています。
しばらく、奥さんが体調を崩されていたようでしたが、数日前ヨーカドーの帰りに覗いてみると店先まで出てきてくれて、元気な声を聞かせてくれました。
明日の昼休みに予約が取れたので行ってきます。
Saraり、Garaりと変わってこようと思います。
同年代ということもあり、とてもリラックスでき、リフレッシュさせていただいています。
しばらく、奥さんが体調を崩されていたようでしたが、数日前ヨーカドーの帰りに覗いてみると店先まで出てきてくれて、元気な声を聞かせてくれました。
明日の昼休みに予約が取れたので行ってきます。
Saraり、Garaりと変わってこようと思います。
ムサシが冷えたコンクリートの階段で涼んでいました。
ここが気持ちイイのもあとしばらくです。
そしてうちは寝室に扇風機を出しました。
クーラーが苦手ため、これからの季節はコイツで乗り切ります。
先日、テレビで水うちわなるものを見ましたが、すばらしいと思いました。
あの透明感と、水に浸したときの涼感には、まさに日本人特有の感性が感じられました。
夕時、水うちわを片手に散歩ができたら、さぞ気持ちイイでしょう。
東京で夕涼みができるのはこの時期(瞬間に近いですが…)だけです。
これから待っているのは、梅雨の蒸し暑さと、連続熱帯夜の新記録です…。
商店街に出ると風鈴の乾いた音が幾重にも重なっていました。
暑かった一日、夕方になり気持ちのいい風が吹きはじめました。
京島で暮らしていると、様々な音が聞こえてきます。
子供の足音、声、水の流れる音、まな板を叩く包丁の音、工場のプレス音、ナイターのラジオ中継、居酒屋から漏れて来る大きな声、洗濯機がまわる音、親が子供を叱る声、ローラー滑り台の音、区の定時放送、、、
人々の生活が路地に染み出し、毛細血管のようにまちが繋がっているのです。
御飯時になると様々なメニューが今度は鼻をくすぐります。
このまちに訪れる方々は立派な一眼レフを首に下げていらっしゃいますが、耳と鼻も敏感にすればさらにこのまちを楽しめますよ。
…ちなみに今、ハンバーグの匂いが事務所に入り込んできました…。
南青山の事務所に打ち合わせへ。
押上の駅からはsky treeの建設現場が良く見えます。
先日、最下部の鉄骨取付を終えたとニュースで見ましたが、順調に「藍白(あいじろ)」の鉄骨が組み上がっているようです。
この新タワーは良くも悪くも周辺地域に大きな影響を与える訳でありますが、実際組み上がっていく様子を間近に見ていると、そんな事は頭の片隅に追いやられ、子供の頃のようにワクワクした気持ちになります。
東京タワー建設当時も皆同じ気持ちだったのでしょう。
時代や生活・経済状況が変わっても、人の本能的な感覚は変わらないようです。
東京タワー建設後、6年を経て東京オリンピックが開催されたわけです。
sky tree完成後、5年を経て再び東京オリンピックは開催されるのでしょうか。
当時とはまったく違うコンセプトのオリンピックを目指しているようですが、願わくばひたすら発展を求め、日本橋の上に高速道路を架けてしまう、そんな当時の野蛮な、しかし純粋な時代の胎動に呑み込まれてみたい。
東京タワー建設当時は、熱いリベットを打ち付ける乾いた音が、青空に響き渡っていたのでしょう。
押上の駅からはsky treeの建設現場が良く見えます。
先日、最下部の鉄骨取付を終えたとニュースで見ましたが、順調に「藍白(あいじろ)」の鉄骨が組み上がっているようです。
この新タワーは良くも悪くも周辺地域に大きな影響を与える訳でありますが、実際組み上がっていく様子を間近に見ていると、そんな事は頭の片隅に追いやられ、子供の頃のようにワクワクした気持ちになります。
東京タワー建設当時も皆同じ気持ちだったのでしょう。
時代や生活・経済状況が変わっても、人の本能的な感覚は変わらないようです。
東京タワー建設後、6年を経て東京オリンピックが開催されたわけです。
sky tree完成後、5年を経て再び東京オリンピックは開催されるのでしょうか。
当時とはまったく違うコンセプトのオリンピックを目指しているようですが、願わくばひたすら発展を求め、日本橋の上に高速道路を架けてしまう、そんな当時の野蛮な、しかし純粋な時代の胎動に呑み込まれてみたい。
都市空間の中で公私をわけるものはどのような要素であろうか。
たいていの場合それは塀であったり、玄関までの前庭であったりするわけで、自分の土地の領域を示すものであることが多い。
京島の場合にはそれが無い。
その代わりに四季折々、共に楽しめる鉢植えなどが路地にはみ出し、路地が生活の場となり京島らしいコミュニティが育まれている。
「この道、おそらくこの家の土地なんだろうな」
と思いながら通る極細の道も多い。
こんな環境に居ると、自然と意識はまちの中につながっていく。
たとえば、玄関開けっ放し、なんてことも抵抗がなくなってくるのである。
私の事務所もこの季節は玄関を開け放っている。
デスクから1,500㎜先の路地からは時間の移ろいと共に、声・音・におい・風…様々な“生活”が事務所の中に飛び込んできます。
この“生活”は、私の建築への考え方に大きな刺激を与えてくれています。
出来る限り身体で享受し、考えをめぐらせたい事柄なのです。
←ここにはマンションが建つことが決まっています…
公私のハザマでは時にパーティーが開かれます。
たいていの場合それは塀であったり、玄関までの前庭であったりするわけで、自分の土地の領域を示すものであることが多い。
京島の場合にはそれが無い。
その代わりに四季折々、共に楽しめる鉢植えなどが路地にはみ出し、路地が生活の場となり京島らしいコミュニティが育まれている。
「この道、おそらくこの家の土地なんだろうな」
と思いながら通る極細の道も多い。
こんな環境に居ると、自然と意識はまちの中につながっていく。
たとえば、玄関開けっ放し、なんてことも抵抗がなくなってくるのである。
私の事務所もこの季節は玄関を開け放っている。
デスクから1,500㎜先の路地からは時間の移ろいと共に、声・音・におい・風…様々な“生活”が事務所の中に飛び込んできます。
この“生活”は、私の建築への考え方に大きな刺激を与えてくれています。
出来る限り身体で享受し、考えをめぐらせたい事柄なのです。
妻の情報によると、ムサシは今はクリーニング屋さんのお向かいのお宅で、暮らしているようです。
それで最近はそのお宅のアルコーブで寝ているのです。
買い物帰りのご婦人がそのように話していたそうで、その方は「タロウ」と呼んでいたとの事。
私と妻は最近まで「ともにゃん」と呼んでいたわけで、まるで『耳をすませば』に出てくるムーンのようだなと思いました。
『耳をすませば』はとても好きな作品です。
といってもDVDを持っているわけでもなく、テレビで放映されても必ず見ようと心待ちにしているわけでもありません。
でも何故か見はじめると最後まで観てしまうのです。
私の中で惹きつけられる、その理由の一つは、登場人物の話すセリフがとてもキレイな言葉であるということにあります。
特に雫の作品を読み終わったあとでおじいさんが言う
「よくがんばりましたね。あなたは素敵です。」
このセリフ、声、間、お気に入りです。
それで最近はそのお宅のアルコーブで寝ているのです。
買い物帰りのご婦人がそのように話していたそうで、その方は「タロウ」と呼んでいたとの事。
私と妻は最近まで「ともにゃん」と呼んでいたわけで、まるで『耳をすませば』に出てくるムーンのようだなと思いました。
『耳をすませば』はとても好きな作品です。
といってもDVDを持っているわけでもなく、テレビで放映されても必ず見ようと心待ちにしているわけでもありません。
でも何故か見はじめると最後まで観てしまうのです。
私の中で惹きつけられる、その理由の一つは、登場人物の話すセリフがとてもキレイな言葉であるということにあります。
特に雫の作品を読み終わったあとでおじいさんが言う
「よくがんばりましたね。あなたは素敵です。」
このセリフ、声、間、お気に入りです。
お世話になっている不動産屋さんに依頼された案件のスケッチを終え、休憩を兼ねた夕飯の買出しに近くの商店街へ。
なじみの魚屋さんに行くと
「今日はおそろいで」
めずらしく妻と二人の私は、さっそくいじられる。
くじら肉が置いてあり、妻が調理法を聞いていると、まわりのおばさんも別の作り方を教えてくれている。
「また料理おぼえちゃったなぁ」
魚屋のお父さんが妻をからかう。
コンビニや、スーパーにばかり通っていた一人暮らしの頃には考えられない豊かな時間が流れる。
こうした人々の生活を基に、地域というのは強く、やさしく、豊かになっていくのだろう。
今日はくじら肉、ネギトロ、コブを購入。合計900円
帰りに猫達が道を塞いでいました。
なじみの魚屋さんに行くと
「今日はおそろいで」
めずらしく妻と二人の私は、さっそくいじられる。
くじら肉が置いてあり、妻が調理法を聞いていると、まわりのおばさんも別の作り方を教えてくれている。
「また料理おぼえちゃったなぁ」
魚屋のお父さんが妻をからかう。
コンビニや、スーパーにばかり通っていた一人暮らしの頃には考えられない豊かな時間が流れる。
こうした人々の生活を基に、地域というのは強く、やさしく、豊かになっていくのだろう。
『桜が咲くと人々が集まってきて、“いい場所”に幔幕を廻らす
建築家の伊東豊雄氏が、自身の建築の原イメージとして話されていた言葉です。
日曜日に多少季節外れの花見を行いました。
場所は京島南公園、通称『マンモス公園』
アーティストによる歌や三味線、活弁士によるサイレント映画の上映など楽しいひと時を過ごせました。
幔幕はありませんでしたが、私達にとって確かにそこは“特別な場所”になっていました。
準備をしていると子供達が興味をしめす…
だんだん増えてきて…
…こうなる。
地域性だろうか、子供たちは世代の違いを気にせず会話ができる。
ギターと三味線のセッション。
…少し落ち着かなかったのは私だけであろうか。
やはりそこには領域を計れる(推定できる)、何かが必要だと感じてしまう。
それは建築なのかもしれないし、人々の意識なのかもしれない。
建築はしばしばその領域を曖昧にしようと試みられるわけだけど、曖昧にした領域を補完するように、人々の意識がその建築に入り込まないと成立しない。
今回のことで考えてみれば、私達以外の人々の意識が、曖昧な領域を補完しきれなかったということであろう。
それは同時に私達の(建築の)無神経さを表しているように思える。
その幔幕一つでそこが特別な場所になる』
建築家の伊東豊雄氏が、自身の建築の原イメージとして話されていた言葉です。
日曜日に多少季節外れの花見を行いました。
場所は京島南公園、通称『マンモス公園』
アーティストによる歌や三味線、活弁士によるサイレント映画の上映など楽しいひと時を過ごせました。
幔幕はありませんでしたが、私達にとって確かにそこは“特別な場所”になっていました。
地域性だろうか、子供たちは世代の違いを気にせず会話ができる。
…少し落ち着かなかったのは私だけであろうか。
やはりそこには領域を計れる(推定できる)、何かが必要だと感じてしまう。
それは建築なのかもしれないし、人々の意識なのかもしれない。
建築はしばしばその領域を曖昧にしようと試みられるわけだけど、曖昧にした領域を補完するように、人々の意識がその建築に入り込まないと成立しない。
今回のことで考えてみれば、私達以外の人々の意識が、曖昧な領域を補完しきれなかったということであろう。
それは同時に私達の(建築の)無神経さを表しているように思える。
寝ぼけているので小さな目がさらに小さく…
商店街のクリーニング屋さんが飼っているネコ、もとは野良だったそうです。暖かくなるといつも路地の真ん中で寝ています。
私は勝手に名前を付けて可愛がっていました。
先日、いつものようにかまっていると、
「ムサシがどうかしましたか」
と歯医者さんから出てきた上品なおばさま。
私は気になっていた首もとの傷について尋ねてみた。
発情期のこの時期、道いっぱいに血と毛を散乱させるほどのケンカをしてしまったらしい。
そのときの傷で、病院で縫ってもらったそうです。
去勢手術も併せて行い、その費用は近所の皆さんで出し合ったとのこと。
(ちなみに野良ネコのままであれば、区が費用の半分を助成)
聞けばあちこちの家で寝かせてもらっているようで、
「地域ネコみたいなもんだから、これからも可愛がってね」
おそらく猫好きな方や、動物愛護の観点からNPOなどを立ち上げ、地域猫を管理していくことはあることだろう。
ルールを決め、定期的に集まり、報告や苦情に対する対応などを検討する。
しかしここの場合、そんな堅苦しいものではなく、クリーニング屋さんの下の子を家で遊ばせ、遅くなったから「今日はウチに泊まらせるから」という感じであろう。
冬の寒い夜にバイクカバーの下にもぐりこんで、ブルブル震えていたのも見たことがある。
このユルイ感じがなんともアットホームで、まさにここに住んでいるネコ(住みついているではなく)、という感じがするのです。
私も地域の一人として本名のムサシと呼ぼう。
(地域ネコならバラバラの呼び名の方が整合性があるようにも思うが…)
ココを触るとアゴがグイ~っと出てきます。
どうしてもグイ~っと出てしまうようです。
気持ちよさそう…
5:30に起きて隣の空地の草取りをすると、一株の野草が綺麗な花を咲かせていました。
京島には老朽化した家屋が取り壊され、その小さな空地がそのまま放置されているケースがよく見かけられます。
放っておけば雑草とポイ捨てのゴミで荒れていきます。
隣の空地の場合、ウチと反対隣の老夫婦との間で、どちらともなく気が付いたら草取りを行なっています。
その都度感謝し合い、缶ビールをもらったり、地元のお土産をわたしたりしています。
私たちのような若い夫婦と、長年そこに住んでいる老夫婦とが簡単にこんな関係になれるのも、このまちの大きな魅力の一つです。
この後、road bikeで一時間ほど走る予定だったのですが、思いのほか腰にきてしまったのでやめておきました。
私の愛車のご紹介は、もうしばらくお待ちください。